13 1月

先と後の逆転

全世界の企業が環境問題を抜きにして、企業自体が人類に貢献しながら、経済的発展に挑戦できるのかと考えるが、個性あるところは少ない。敢えて言うならば、経済的発展とは、心をある人間の知を恵みとする競合である。しかし、その前に、在って在る方から創造された人間の心が危機にさらされている。みえない心は置き去られている。私は次のように思う。心ないところに経済的発展があるわけがないし、自分の夢につながらないと…
使い捨ての時代、『私には夢がある』と誇りをもって、誰が言えるのか。古典中の古典の書には、先のものが後になり、後のものが先になるという一節が記されている。このロゴス(言葉)は、どの領域にあっても、本質にとどまらず、それを突き抜ける。
私たちの集まりはバブルにあっても、バブルに踊る環境にはなかった。バブルの時代にあっては、少なくとも先のものではなく、後のものであった。バブルの時代にあった人間でありながら、外側で生きていた私。同じ舞台で踊らなかった。今となってみれば、『幸いなるかな、幸いなるかな』と感謝の賛美をささげる。
先のわかる人生はないが、私にとって確かなことは、質の違う個性があり、踊りと笑いがあり、大胆に生きる人生が与えられていると信じている。力まず、焦らずに、淡々と、今以上に、知を恵みとして大胆に生きていきたい。いかされて…。