7 6月

「『今』と『存在』を感じる大切さ」

ある日のことを思い出す朝であった。私は、極めて関係の近い人間と京都で会い三重県に同行してもらった。ある現場を見せて、相談するためである。
その道中で今までの人生を彼は心を開いていろいろと語ってくれた。印象的な言葉が私の脳裏に残った。私の受肉化された言葉で表現すると次のようになる。
『何故、人間はこれほどまでに「みえない苦しみ」に対して沈黙しないのか…、みえない苦しみは理解できない。だから、そっと静かに傍にいて、傾聴できるなら傾聴してくれたらいい…言葉いらない。感じてほしい、私の今を…私の存在を…』
傾聴とは、言葉で応答することではなく、その存在の『今』という瞬間を魂で感じることではないかと思った。
ところで、「ナビに逆らい道迷い」ではないが、話に夢中になっていて道を間違い、現地に到着するのが2時間以上も遅れたことを二人で笑ってしまった。
しかし、すべてに意味があり、無駄なことはひとつもない。2時間遅れたのも深い意味があったと顧みることになった。