30 1月

《愛》に包まれた取り組みが第一義的本質

我々の取り組みが、一見単純で、マンネリ化しそうな日々の取り組みの中で、それが、将来の希望につながるのか、と疑問視する人がいる、とするならば、その人が、何をそんな焦っているのか、と尋ねてみたい〈個〉の私。尋ねてみたい隣人たちと以下のことを「心の対話」としたい。17年間の歳月をかけて取り組んできて〈今〉があると考える私は、そこで、以前に皆さんと共有した話題を想起したい。ある作業所に通所していた人が人形作りの一つの行程を担当していたが、なかなか完成できず、それでも、諦めずに、焦ることなく、10年間と謂う歳月をかけて、ひたすら一つの行程に取り組んで、何とか、自分が担当していた行程を完成させた、と謂う話題である。勿論、その人の周りのあたたかい協力と深い理解等があったことだろう。一人で、そこに、たどりついた訳じゃない。けれども、私は、称賛と感動に匹敵する話題にとどまらない、意味ある素敵な取り組みであり、意味ある素敵な人生である、とうけとめる。当人にとって、〈経済的次元〉を超越した人生を全うするとは、どのようなことかを体験したことになる。10年間、周りの《愛》に包まれた取り組みだ。我々の精神界の取り組みも、そうありたいと祈る日々である。