20 9月

「覚えられた存在」 が、どれだけ幸いなる次元にいるのかを、再確認した私!

以前に、グレースハウスに通所していたMさんから、突然、連絡が入った。何事かとおもいきや、私のことを覚えていて、私の最近の出来事で、心配して連絡をくれた。本当に、「覚えられた存在」が、どれだけ、幸せかを、あらためて、思い知らされた。マザーテレサの以下の一節が〈個〉の存在に受肉化された瞬間だ。「死にゆく存在が悲惨ではなく、忘れられた存在が悲惨なのだ。」