15 11月

〈沈黙〉のやぶられし日を待ち望む〈個〉の私

「多文化共生共存」の社会を目指さない、この世から、見放されても構わないのだが、自分が関係している精神界に生きる隣人からは、「多文化共生共存」の社会を目指して、共にある〈存在〉である、と謂う信頼をうけて、活かされたい、と〈沈黙〉を前にして、日々、祈りがつづく。・・・〈沈黙〉が、やぶられし日を待ち望みながら。