5 3月

人間とは「赦す」という次元がなければ生きられない《完璧》な〈存在〉ではないのだ!

人間、〈各々〉に、悔い改めし人生が添えられいる。悔い改めには、「赦す」という次元が含まれていると考える〈個〉である。ただし、〈個〉の内的範疇での悔い改めし人生であることを忘れてはならない。「放蕩息子」の「例え話」には、「放蕩息子」の兄が〈存在〉する。父親が、放蕩の贅沢三昧を繰り返し、自分のもとに立ち返ってきた「放蕩息子」を赦して、抱きしめるが、その兄は、父親の行為と「放蕩息子」を《赦す》ことができなかった。まじめに父親に尽くしてきた兄は、父親の考え方が理解できなかったのだ。つまりだ、人間には《赦す》という心がなければ生きられないことを長男に悟らせたかった父親であると考える〈個〉である。更には、兄が自分自身を「赦す」ということができないで《完璧》な〈存在〉と受けとめることに危惧した父親の《愛》が、そこにはあったと考える。『「在って在る」と謂う全宇宙の創造者は《完璧》な人間を創造しなかった。』故に、「この人類には、《完璧》な人間は〈存在〉しない」。