13 6月

「沈黙の神」の前での祈りにすべてをゆだねる〈存在〉が我々である

〈個〉のある知り合いが、〈避けられぬ手術〉を先日うけた。手術をうける前に、私は彼と共有できたことがある。それは、我々、人間が、すべての事柄を「沈黙の神」にゆだねる〈存在〉であると言う内容であった。ゆだねることが、消極的・否定的な姿ではなく、「沈黙の神」の前では、積極的・肯定的姿であると受けとめることができた。精神界においても、同じことが言える。精神界における〈避けられぬ病気〉は「沈黙の神」にゆだねるしか術がないといっても過言ではない。精神の物理的な〈心の手術〉は〈薬〉を添えることになるのが現実だ。どちらにせよ。我々、隣人たちのできることは、当人の「回復」を「沈黙の神」の前で膝をおり祈るのみである。