21 2月

誰もが触れたくないテーマかも知れぬ「死」を一考して人生を哲学したい〈個〉!

精神界が大海原にむかって出航して、大波・小波が、おそってこようが、氷山の一角に衝突し、沈没しても、我々が、海の藻屑となることはないと確信する〈個〉である。上に記したことが、〈個〉の異次元的表現が〈土台〉にある。それが「死んでも生きる」と言うことだ。さて、以下の内容は、〈個〉の受肉的理解からくるテーマである。精神界において、「自死」があったとしても、それは〈事故〉と受けとめて〈沈黙〉に伏す。ただし、一般化して「事故」と表現しているのではない。あくまでも、精神界にとどめての表現だ。究極的変換で表現すると「人間としての意味ある人生を全うした〈事故〉」であると言える。自分では、意識的にコントロールできていようが、できてなかろうが、おこったことは事実である訳だ。故に、後者の括弧内の内容で〈個〉の心が慰められる。だが、勿論の如く、異論多き「心」と「心」の対話となるだろうが、〈個〉の「心」と〈個〉の「心」の対話から導かれた受肉的理解の〈個〉の一考と受けとめられたら幸いだ。

特記事項:受肉的理解と言う表現の意味ですが、〈個〉が「自死」をどのようにうけとめたらよいのかと悩んでいた時期があった。それを知った〈個〉の宗教界の恩師が「自死は〈事故〉」と諭すように伝えてくれた。それを〈個〉が自分の「心」の“肉”として受け入れて用いている〈個的表現〉です。