25 6月

愛とは何かを考えさせられる物語り「放蕩息子」!

「放蕩息子」のような人生をおくってきた私が〈今〉にあるのは、精神界の人たちが愛をもってして受け入れてくれたからだと思い感謝の心で一杯です。ところで、古典中の古典の書には、以下の「放蕩息子」の話が記されています。「放蕩息子」にはお兄さんがいました。その兄は「放蕩息子」に対して、身勝手な弟だと思っていたでしょう。何故かと言うと、弟は自分の取り分となる財産のすべてをもらい、それをもって勝手に家を出て行ってしまったからです。そして、俗世界で贅沢三昧な生活をして、財産のすべてを使い果たして、頼るところなく、結局、実家に戻って来たからです。それに対して何の咎めもなく、我が息子である、つまり、「放蕩息子」を親が大歓迎したのです。その親の姿を見たお兄さんは、親の傍にいて、精一杯、忠実に仕えてきたのに、自分に対して「放蕩息子」のように一度でも大歓迎してくれたことがあったのかと不満の気持ちを親にぶつけます。おそらく、お兄さんは「放蕩息子」も親の行動も赦すことができなかったのでしょう。一般的に考えたらお兄さんの気持ちが解らんでもないところです。ところが、そうでないところに親の計り知れない深い深い愛を垣間見ることができます。さて、私が前(まえ)にする皆さんには、この物語りに登場する『親的存在』がいると思いますか。「放蕩息子」とそのお兄さん、そして、『親的存在』の三者の立場になって考えて見てください。上記の内容を通して愛とは何かを考えるキッカケになれば幸いです。