5 3月

「生が死をのみこむ」

私の親代わりの姉が召された(2012年3月1日14:00)。享年81歳。
アルツハイマーとなり、人間に与えられた一つ一つの大切な役割を果たす機能が失われていく人生が与えられた。語ることができる機能が残されていても、最後まで、沈黙する姿をもってして、この世の旅路を終えた。まさに、黙して語らずであった。
強い印象としてあるのは、何事にも動じることがなかった。ただただ存在感のある女性であり、親代わりであり、笑顔が多い人であった。自分が信じた道を曲げる人でもなかった。私の知らないところでいろいろあったとおもうが、筋金入りの人生を走り抜けて永遠の命へと導かれて行ったと私は信じる。
私の心には、その存在感だけが残り『今』にある。
目にみえるところにだけ意味があるのではなく、言葉があるところにだけ意味があるのではなく、みえないところを感じ、黙する姿を感じるところに深い人生の意味があることを静寂がただよう中で知る機会となる。人間としての存在感が私に残してくれた心の財産はあまりにもおおきすぎる。生と死の狭間で生きる親代わりの姉の姿は、まさに『生』が『死』をのみこもうする瞬間を感じさせてくれる時に間に合うように私を導いてくれた…本当に幸いなことである。
その存在感の前にある私の心はしずかであった。