21 1月

「信じてカイロスの『時』を祈る」

最近、ちょっとした怪我をすることが多い私。
自己責任ではあるが、周りに心配かけては何にもならない。
どんな局面を迎えても冷静沈着になり、自分自身が自らのアドバイザー的な存在でありたい。
時として、信頼する相手に相談するが、自らが自分自身の『答』なりの存在である。
そうであれば、相談する必要がないが、しかし、そうではない。沈黙をもってして傾聴する相手を求める。
そして、相手との関係の創造において自分のたしかさを確認して安堵する。そんな人間存在である。
自己確認=他者確認。
最初に記したように、最近、ちょっとした怪我が多い私が、すでに体験した『大事の前の小事』(大事を行う時は小さいことにも気を配り、決して油断してはならないなどの意味)を教訓にして、神の摂理にもとづく人間の応答である「時」(カイロス=ここぞという好機=チャンス)が与えられることを信じて祈る朝である。

◎ギリシャ語には『時』を表す言葉として、カイロスとクロノスの二つがある。後者は時計が刻む「時」を意味する。