21 2月

「車の安全走行のメカニズムに例えて」

我々の世界で大切なことが多くある。それは自分が自分とたたかわないこと。
同時に、隣人との関係においても同じことが言える。…たたかわないで向き合うことを教えられた私。
また、何が起ころうとも自分を責めないこと。同時にまわりを責めないこと。
この二つを心に刻んでおかないと好転することは何もない。それだけではなく、新しい関係の創造が何もうまれないどころか停滞する。
そして、ますます混乱・混沌の渦の中でもがくことになる。隣人の表現を傾聴しているようで、それに寄り添っているようで自己満足の悲劇の一人芝居に酔いしれて埋没する。
人間があらゆる病気になる可能性はロボットでないかぎり誰にでもありえる。それがマイナスとかプラスとかの価値観にとらわれている間は自分自身が、また、取り巻く者が病気に対する偏見をもっていることに早く気づいてほしいと祈る。「回復」が遅れるからだ。
15年間の取り組みの中で、1.「病気の回復」、2.「人間性の回復」を理念に掲げてきたが、その間、大切なことに気づかなかった私。それが、3.「病識の回復」である。
これを車の四つのタイヤの一つ一つに当て嵌めて例えるならば次のようにいえるだろう。各々が車の安全走行の大切な役割をなす。
4.の内容となるのは「精神科医」である。それでは、ハンドルを握るのは誰であるのか。それは当事者である。車が安全走行できるのは、ハンドルに余裕をもたせるメカニズムとなっているからである。
しっかりとハンドル握る当事者がハンドルの余裕を感じて安全走行できるまで関係する各々が共に沈黙の寄り添いに徹したい。