1 8月

「赦し赦されて生きる存在」

時にして、人は人の足を踏んでることに気づかない人生を歩んでいる。
足だけではなく、人生・存在全体が痛む。
踏まれている人は、その痛みを一生涯忘れないが、踏んでる人はすぐに忘れる。
忘れるよりも、踏んでることすら気づかない人の方が多いのが、この世の中である。
人間にとって、赦し赦されて、帳尻があう「痛み」が、将来の「生命(いのち)の糧」になれば、これほど幸いなことはない。