7 10月

「カタルシスの涙」

「個」としての私の告白となるのだが、若い頃から、涙多き人間であったと想起する。
日本で生まれた私が、男は人前で泣くものではないと、よく聴かされてきた記憶があるが、それに違和感を覚えながら、考えてみれば、真逆の人生を歩んできた。
「個」の私の体験を通して、みなさんに伝えたいことがある。それは、「個」の心が少しずつ軽くなるための抑圧的感情表出の解放と同時に、抑圧的自己意識の感覚を取り戻してくれるカタルシスの涙があるということだ。
さて、その私が、今の精神的世界にめぐりあい15年程度、「歳月人を待たず」の中で、抑圧されている感情と心のしこりからの解放としての「涙」が奪われたきた人たちとの出逢いが与えられている。私は精神科医ではないが、あきらかに人間として与えられし感情表出と自己意識が、薬によっては、感情的抑圧と自己意識的抑圧となるし、日々の生活的抑圧になりうることに気づかされる日々。まさに、副作用の作用である。
ある人たちから、「私は、泣きたくても、何故か泣けないし、涙がでないのだ。それが、とてもとても辛いのだ。」という証言を何度も何度も傾聴してきた。
私はあきらめない。最後まで「あきらめない心」で薬だけではなく、水平線上にある治癒力内在的メッセージによって、カタルシスの涙を取り戻す日がくることを信じて、これからも取り組むことを誓う朝を迎える。