17 12月

「沈黙の神」が「沈黙」の中で我々ひとり一人の姿を観ている現状を知るべし!

最近、社会福祉法人サワリの将来のことを考えるところがある〈個〉の私です。何故だろうかと自問自答を繰り返しているのが〈個〉の現実です。その中で判ってきたことがあります。そのきっかけは、「あなたには『理念』がない」と投げかけられたからです。敢えて、大胆に表現させて頂くならば、以下の内容となります。
その存在こそ、「理念不在」の言いたい放題、やりたい放題で、自分の立ち位置が分かっていないか、もしくは、自分を見失って、何かに溺れているようにしか、私にはうつらないのです。サワリの理念のもとで働く優秀なスタッフが多いですねと隣人から言われたばかりの時でありました。若くして銃弾の一撃で召されたキング牧師の言葉「私には『夢』がある」が、〈個〉の私には、「私には『理念』がある」に変換できるのです。サワリに関係する人たちが、サワリの「理念」のもとで役割を果たしていると信じてのやまない〈個〉の私です。それでも、「理念不在」の人が存在するとするならば、一度、「放蕩息子」を体験したらどうですかと提言したいのです。いやいや、本当に「放蕩息子」を考えて、寛大なる「在って在る」に属する方の元から、いったん離れることが必要でしょう。そして、新たなる姿で、再度、再帰する〈チャンス〉を約束してもらえるくらいの悔い改めが必要不可欠でしょう。
さて、「在って在る」に属する方のもとには、兄がいますが、ひょっとしたら、サワリの中に、兄に匹敵するような人が〈存在〉するかも知れません。その兄は、父親に訴えます。あなたの傍で長年、真面目に使えてきた私でさえ、再帰した「放蕩息子」のような歓迎の祝福の宴をしてもらったことがなかったじゃないですかと。それでも、その兄を、再度、「限界のない愛」をもってして、あたたかい心で抱くのです。父親である「在って在る」に属する方が・・・