30 5月

「『共に生きる』とは…」

私はいろいろな集まりで『共に生きる』という言葉が語られるのを聞いてきた。
『共に生きる』とは仲良しクラブをつくることではない。同情することでもない。
生きるに困難な課題がうまれた時にそれを人生の大切なテーマとして、自己責任のもとで互いにその担い手となることを意味すると私は理解している。
そこに無理が生じては、自ら選んだ生き方にならない。むしろ、生き甲斐となり、自然に生きるよろこびにかわるだろう。
これほど幸いな人生はないと私は思うのだが、あなたはどうですか。
『共に生きられられない』とあきらめることは、私にとって人生をあきらめることである。