6 6月

「立ち上がれ『チャレンジド』」

私は、今、いろいろな意味で私自身の転換期にあたり、今までの取り組みを想起しながら、シンプルに整理できたらとおもう昨今である。
この世界で最初に出会った人が一緒に取り組んでほしいと願い、私に求めてきたことは「当事者主体」と「作業しない作業所」、この二つを旗印に掲げた空間づくりであった(1999年頃)。
その当時、何故わざわざ「当事者主体」を主張する必要があったのか。また、「仕事をしたい。したい。」と言いながら、何故「作業(今で言うところの就労トレーニング)しない作業所」をもとめてきたのか。実は、それが私にとっては、精神の特性に対する外的無理解(=国・社会・地域等の偏見と差別)と内的無理解(親等を含む自分と当事者たちの内なる偏見と差別)、そして、精神医療とそれを取り巻く施策の課題等に対するチャレンジが先に求められていることを知る出発点となる。
上記の内容が、「当事者」にとって、病気と人権の回復への道を阻むハイレベルな壁となり、心の目隠しの役割を果たしてきた。
関係の創造にあり、チャレンジすることを創造の主から与えられた者たちよ。各々が自分を信じて今こそ立ち上がる「時=カイロス」である。
「今」は、一瞬にして過ぎ去り、二度ともどることがないことを心に刻み、取り組んでいくことを宣言する私が存在する。