31 7月 「愛の矢」 私の心をしあわせが突き抜けていく。 言い換えるならば、隣人の共に生きる証なる生き方が的はずれることなく、私の心の中心を愛の矢として突き抜けていく。 決して、隣人の生き方が当たり前ではなく私の心に刻み込まれる。『感謝』。 私にとって、感謝するとは、自らの生き方に向き合いつつ「謝(しゃ)」を「感(かん)」じて、「悔い改め」(ギリシャ語=メタノイア)ることである。