9 10月

「目に見えない世界への憧れ」

辞書を見ると、「気」の意味が次のように
1.生命力や活力の根源となる心の働き
2.意識
3.気質
4.気分や気持ち
5.物事について、あれやこれや考える心の働き
6.何かをしようとする気持ち。また、何かをなし遂げようとする精神力。
7.関心
8.雰囲気等
等、いろいろな意味がある。
しかし、現代科学では、この「気」の正体は解明されていないと言われているのが一般的である。
ところで、人の身体の中には、血管やリンパ液を流すリンパ管や感覚を伝える神経などが網の目のように張り巡らされて、一般的に神経系、リンパ系と呼ばれている。
それとは別に、見ることも触れることもできないものが、「気の体系」と言われる。その「気」が流れる道筋の出入口が所謂、「ツボ」にあたると私達は聞いている。
さて、上記の内容等を参考にすると、私が今関係している世界では、目に見えないもの、実際に触れられないものに関心が高くなる私がいるのだがどうしたものか。
目にみえるもので、すべてを正当な判断とする思い込み、膨らましがあるが、それこそがある意味で「哲学的病気」と言えないであろうか。
例えば、病気を「気に病む」と解釈する一つとすると、私自身、隣人の目にみえるところや隣人の心の一片だけに触れて、人間存在をおろそかにするような発言には、最大の注意をはらうことが必要不可欠である。自分自身に対しても同じである。