7 11月

「三歳までに創造される『刷り込み』の克服」

私は、ある話の場で不思議に思えてならない現実を前にして戸惑うことがたびたびある。
それは、誰の人生でもない、自分のこれからの人生の方向性を決めることになる大切な話なのに、何故か隣人の人生にすりかえられてしまう。
もう少し具体的に表現しようとすると次のようになる。
この場合の人間関係の現実は、「自分の責任のもとで選択し、決定すること」が、すべて「隣人の責任と選択で決定される」と、いつの間にかすりかえられている。
自分の責任回避であることに本人は全く気づくどころか牙を向けてくるケースがある。どこからそんな刷り込みがはじまるのか私にはわからない。本人もわかっていないケースが多い。
次のような話を聞いたことがある。
人間が誕生した時の脳細胞は白紙である。その白紙の脳細胞が三歳までに色付けされると。
…ということは、三歳までの親子の関係やその環境の中で刷り込まれた価値観が一生涯を決定してしまうというリスクが高い話である。
「刷り込み」に対しては、鳥類を通して、いろいろな学者が研究してきたことを聞いたことがある。
いずれにしろ、最終的には、私は私の人生を選択して決める。あなたはあなたの人生を選択して決める。
これを忘れたら、人生におけるすべての事柄が隣人の責任にして終わってしまう。
なんとさびしく貧しい人生かと思うのだが、みなさんはどのように思われますか。
以上の刷り込みに関することを乗り越えるためには、「自分が自分を信じることしかない」と私は思ってやまない。
同時に、それが隣人を信じる可能性に結び付くと信じている。勘違いのないように「刷り込み」を信じるのではないことを。