7 2月

「歴史から人間であることを学ぶ」

私は日本で生まれて日本で教育をうけた66歳の在日二世である。
名もなき小さな存在ではあるが、日本と朝鮮半島の歴史の証人としての存在である。
日本で寄留の民として生活しながら働き、税金は日本の人と同じように支払い、社会的責任義務を果たしているが、選挙の時だけは人間としての責任義務を果たす“一票”を投じる権利がない。
権利とは、“自分の意志によって、ある物事を自由に主張する資格”を意味する。それがないということは、人間が人間であることを否定されることにつながる。私は人間であることを主張することをあきらめない。自分が与えられた生命がある間に必ず一票を投じることができる時代がくることを信じている。人間が何をもって人間であるのかを教えてくれた日本に生まれてしあわせだ。
最後に、伝えたい。私が何故日本に存在するのか。その私が何者か。それは“歴史”が証明してくれる。
私と歴史的文脈が違えど、みなさんも精神医療の歴史の中で、自分が何者かを診察を受けながら、学んでいくだろう。
それだけではない。自らの“権利”を主張することがどのようなことかを診察を受けながら、学んでいくだろう。人間であることを証明するために。