27 2月

「おろかなる先に光あれ」

私のめぐりあった人達は、『個』であっても、『集団』であっても、各々が地域や社会、そして、国際的規模で人間が生きて生きて生きるための取り組みをしている。
一つの例をあげれば、原発の毒などがある。それらすべてが人間存在の破壊であり、将来の子供達の負の遺産となる。
神のイメージの中で創造された人間がなにゆえにこんなにもおろかなのか。考えてみれば、おろかな存在であるが故に、おろかさにある現実に意味がある。
それが、まだみぬ隠されたまことなる意味である。それを何度、語れど、いかされて生きる悔い改め(=生きる方向・方針をかえること)がなければ、「語るもおろかなり」である。
仏教には、人間が克服すべき「三毒」のブッタのおしえがある。それが人間諸悪・苦しみの根源とされている。「毒」は人間存在を破壊するだけではなく命までもうばいさる。
また、尊い意味が遠ざかることがないようにおろかなる先にある光を求めて寄留の民となる私。