12 6月

「人生・・・山の峰の絶壁にあろうとも動じることなかれ」

私は怒濤のごとく移り変わる世相の中で、「我は我」であるという信念を貫き通す生き方に魅力を感じて生きてきた。
次のように例えてみたい。山の峰の絶壁に追いやられるほどに、あれやこれやと考える余裕などない状況下に置かれる。
その「我は我」であることを客観視することが、非常に重要視されることになる。その局面では、山の峰の絶壁の前方を直視して、ゆらぎのバランスに身を任せて、動じることなく、「我は我」を信じて、「我は我」に集中する。
そして、突風おいやるがごとく突き抜けて渡りきる。途中で中途半端に下を見たとたんに自分の置かれた状況に翻弄されて、「我は我」を見失うことになり、ただただ恐怖と緊張のあまり一歩も前にすすめず、体全体がすくんでたたずむ人生となる。
「我は我」に集中できるか、できないかの境界線上にある人生を「今」、我々が共に歩んでいることに気づきたい。
まぁ動じることはない。「動じることなかれ」・・・我々には、すでにその体験・経験を通して、『いのちの糧』にする道が添えられている。
それを自分の生き方とするか、しないかは、あなたと私の選択・決断にゆだねられている。
それも自由に・・・ただし、自由を勘違いしないように最大の注意を添えられる「我は我」でありたい。