12 12月

「後悔先に立たず」の諺を〈個々〉の脳裏に刻めよ!

〈個〉の私が、この歳になるまでに、どれだけの多くの隣人に助けられ支えられて、生きのびてきたのかと、精神界にめぐり出逢ってから、より強く思う昨今なのだ。それは、己が自然にかえされるまで続く人生であると、何がしらの出来事が起こるたびに思い知らされるのだ。やはり、〈個〉が一人で生きてゆける訳じゃなく、〈個〉と〈個〉の間の〈沈黙〉の中で、多くの隣人たちに助けられ支えられて生かされてゆく〈存在〉であることを悔い改めをもってして悟るべしと己を前にして言い聞かせている〈個〉である。もしも、上記の内容を〈忘却の淵〉に追いやるならば、生かされてゆく〈土台〉となる《愛》が中心軸となることを忘れた傲慢で愚かな〈存在〉として生きてゆくのは明白だ。更には、「良きサマリヤ人」の話に登場する隣人からも見捨てられた〈存在〉として、寂しい一生涯を生きて〈終末〉を迎えることだろう。だが、とこしえなる《愛》が中心軸となる精神界で生かされてゆく我々に〈終末〉を超越した《復活》があることを忘れないでほしい。