18 10月

〈沈黙〉が意味するところを一考する〈個〉!

イエスと言う男が、十字架上で「我が神、我が神、何ゆえに、私をお見捨てになったのですか」と言う叫びを発したと聖書に記されています。イエスと言う男の十字架上の苦痛の叫びと受けとめることができるでしょう。イエスと言う男が信じてやまなかった神は、彼を見捨てたと言うか、その苦痛の叫びに対して〈沈黙〉したのは歴史的事実とされています。その苦痛の叫びに〈沈黙〉する神を彼は信じてやまなかったのです。私が前にするみなさんだったら、そのような神を 信じますか⁉みなさんが信じる神が〈存在〉するとしたら、自分を見捨てるようなことをしないと考える人が多いのではないでしょうか。実は、そこに、自分の都合のいい神を神として信じている我々が〈存在〉しているのではないと考えます。〈個〉の私は、自分の都合のいい神を神とすること自体が「偶像」の範疇に入ると思っています。「偶像」と言う漢語が人形を意味すると言われ崇拝の対象になっているのです。ところで、上記の括弧内のイエスと言う男の苦痛の叫びを精神界の苦痛の叫びとするならば、後者においても、我々が心中より満足できるような応答よりも〈沈黙〉しかありません。〈個〉の持論となりますが、〈沈黙〉こそが、神の神としての〔アガペーに属する《愛》の表現〕であると受けとめている次第です。