17 1月

いいのさ、自分の支援者で、自由に生きて…

私達には、何が必要なのか。
考えてみれば、それは何よりも、自分が自分の一番の支援者になることだ。それなしに他者の支援や、心に触れることはやめたほうがいい。自分と他者を傷つけない、つぶさないためにと訴えた人がいる。そこからしか今の現場を維持して、当事者のまことなる現状からの回復の道は開かれないと…。その人の言葉が身に染みる。
すべてが受肉された言葉であり…人生の集約ではないが、ついに沈黙は破られ、心の扉の一つが開かれ、可能性への光が一瞬差し込んだ瞬間だった。その人が伝えてくれたロゴス(ことば)は、今、受肉しなくても必ずその時がくる。
わたしとあなたは人間じゃないのかい…ロボットかい…先にありき病者と固定しないかぎり…。
ありのままのありようをうけとめる果てしない心の広さと深さ…、そんな世界があるのかと疑問をなげかける人間とその社会がある。
それも自由さ。でも、私には疑問はない。互いに、自分だけの世界を…自分だけの宇宙で支援する。
それでいいのさ。最高さ…それがわかればあなたの伝えたいことが自分と相手に受肉する。そうなれば、みえないところで、みえるところで、共に支え合い、助け合う人間本来の姿にもどれると信じている。人様から言わせればおろかな存在と言うかも知れない。世間知らずと言われるかも知れない。それも自由さ。しかし、私はその自由を選ばない。すべての人の存在とその心の回復の連鎖となって、まわりを変革する力があると信じているから。
アダムとエバが自分を偽る着物を身にまとう前の姿にもどれるのだ。
私には解放の鐘が聞こえてくる。それを信じて生きるを突き抜けるあなたと私の「ランナー・ウェイ」。決して、エゴイズムの世界ではないから安心していいよ。
それだけじゃない。ルーアハ(風、息、聖霊)の風に乗って、人生の隙間を自由に飛びまわる。
誰も、その自由を束縛できない。自由でいいのさ。自由で…。
もう一度伝えるよ。人が何を言おうとかまわない、かわれない人生の痛みからの解放のよろこびを共に。自由でいいのさ。そうであれば。
かけがえのない自由な人生を与えてくれた方に感謝して生きていこう。束縛できないみえない魂の宇宙を満喫して…。