20 6月

「人間性の復活への祈り」

私は私を見守り続けてくださる方がいると信じている。ここでいうところの見守りは、自分が自分を見守ることも大切だが客観的な見守りを意味する。
沈黙のうちにある悩みも、悲しみも、悔しさも、一人でそっと流す静かで清らかな涙も、すべてが人間を証明する感情的心である。それを奪われた人工的コンピューター人間が増えていると感じる私がいる。
ところで、私のありのままの人生は、飼い葉桶の中で眠る幼子が、やがて、いと小さき人々への愛と優しさをそそぐことを十字架にかかるまで、やめることをしなかった存在との出会いからはじまった。
現代人は人間のありのままの姿を証明する、沈黙する、その客観的な眼差しとなる愛とやさしさとの出会いが求められているのではなかろうか。それが人工的コンピューター人間として生きる現代人の解放である。つまり、無意識のうちに自分を抑圧していることに気づかされ、ありのままのゆたかな人間の姿とゆたかな感情を復活させることである。