30 1月

「『当たり前』の再考」

私は、空気を吸って息することも、衣食住が与えられぬくもることも、なんでも「当たり前」とおもえる生活をしてるが、私と私の狭間に、私と隣人の狭間には、「そうではないんだよ」、つまり、「当たり前ではないんだよ」とささやく新鮮なる風が吹き抜ける。それが私にとって必要不可欠なことであり、幸いなることである。
存在の底から込み上げてくる生きるにつながるエキサイティング感情のマグマがそこにある。勿論、いろいろな文脈によって、「当たり前」の意味も変わってくるだろう。
私は、祈りをこめて共有したいことがある。それは、互いに「当たり」を「前」にしてエキサイティング感謝と感謝が合掌する供え物を心から添えたいのだ。
あなたは、何を添えますか。それによって、各々、人生がかわる。つまり、各々、生きる意味がかわる。
さて、この世にあって、「当たり」を「前」にできない人達がいることを忘れないようにしようではないか。