3 3月

「孤高の怒り」

我々の小宇宙では、誰に対しても、どんな場面でも、何よりもまず、「人間として向き合ってほしい」という叫びがある。
どんなに迷える羊であろうとも、その叫びが「個々」の心から消え去ることはない。「障碍」や「社会・地域の外者」が先にありきではなく、「人間宣言」が先にありきである。
人と人の間にある厚い壁をぶち破る「人間宣言」の奥底には、怒りがあると同時に、それが生きるエネルギーとなっていたという老いを超越した人の証言が、ある新聞記事に紹介されていたのを想起する。
「個」の怒りのエネルギーの質の違いがどれだけ深く汲み取れる生き方ができるのか・・・私には!?
決して、己の心の傷を深くする怒りでもない。怒りの矛先となる人たちの心の傷をえぐることでもない。
一生涯、十字架を背負うことになった存在が、孤高の怒りをエネルギーとする生き方をもってして、小宇宙に愛の洗礼を授けることになったのではなかろうか。

「孤高」⇒ひとり超然として高い理想と志を保つこと