10 3月

「心の貧しい逆説的存在者こそが大宇宙創造者の狭き門の愛の入門者」

聖書に次のような一節がある。
「心の貧しい者は幸いである。」
まず、「心の貧しい者」とは誰か。ここでは、まったく逆説的表現がなされていることをまず伝えておきたい。
この時代においても、現代と同じように、やはり、当時の社会・地域の外に「生活の座」があり、そこに追いやられていた人たちが存在した。
彼女ら・彼らは、所謂、「社会的・地域的弱者」であり、社会・地域から、「心の貧しい者」と虐げられて、いじめの対象とされていた。
ところが、イエスと言う男は、「生活の座」の外に追いやられた彼女ら・彼らへの逆説的メッセージとして、「幸いなる者」と語っている。
イエスという男が信じる神の目線からすれば、「幸いなる者」が誰か、一目瞭然である。
偶像崇拝者には、「幸いなる者」が誰かを知る余地がないし、自分たちこそが選民としての「幸いなる者」と勘違いの人生をおくるだろう。
「貧しい者は幸いである。」
上記の内容が、2000年前から現代に到る世代まで、いや、これからの世代への警鐘としての「悔い改め」の愛のメッセージとなることを祈る朝。