13 4月

《愛》の大木につながる枝としての〈個〉の私

〈個々〉の心中に《愛》がうえつけられている。故に、《愛》の大木の枝としての私として例えることができる。〈個々〉の枝が枯れることのないように、日々、《愛》の大木から〈栄養素〉がおくられる。故に、私自身が《愛》の大木から栄養素がおくられることがない〈存在〉であれば、枝としての人生が枯れる。《愛》の大木から落ち枯れる枝になることは望まない〈個〉である。