13 2月

「心配」が「心配」の次元になく「心」を「配」ると謂う配慮の次元にあり!

どんな局面をむかえど、面倒をかけるが、その局面に対して「不安」はない。何故か。それは、運命でも、宿命でもなく、どんな局面をむかえても《摂理》と受けとめているからだ。ただし、己が、周囲と己に、ある衝撃的な局面を与えた時には「心配」はするだろう。しかし、「心配」を深刻的思考力の中にはなく、むしろ、〈個〉の理解だが、「心配」とは、「心」を「配」る、という深刻的思考力を超越した配慮の次元ある、と考える。