6 3月

〈個〉の私にとっての出会いの終わりがはやかった理由の1つ

経済的面で、つまり、その面で貯蓄している人には、いろいろな理由がある。それは、将来の〈夢〉ために貯蓄する人。将来の生活を安定させるために貯蓄する人。隣人のお役にたてるために貯蓄する人等々が存在する。〈各々〉のいろいろな理由があるよね。それが、貯蓄を通して〈個々〉の「生き方」を示唆しているかもね!
特に、ここで、共有したいことは、精神界で生かされている人たちへの生活保護の件である。つまり、精神界で必要とする人たちへの生活援助についてだ。生活援助課の行政担当者でさえ理解してないことがある。それは、精神界の人たちが「衣食住」を確保するために生活援助の制度的申請をするだけではないのだ。もう1つの重要なポイントがある。そのポイントが、「病気回復」と、その中での自立・自律のための生活援助の制度的申請であるということだ。それを熟知していない行政担当者が、けっこう多いのが現実だ。当事者自身が、それを忘れていては論外である。皆さんは、知っていると思うが以下のことを、再度、確認しあい共有しよう。申請者が「住所不定」の場合には申請できないことがあるので覚えておこう。さて、話が少しズレるが、お金が人間を〈愛〉することや人間の〈命〉よりも一番大切だと考えている人が〈存在〉していることに、驚いたというよりは、何と「心の貧しい人」かと思ったし、その人の〈魂〉が瀕死の状態でさまよい続けている。随分(ずいぶん)、昔の話だが「お金が人の命よりも一番大切だ」と言い切った人との出会いがあった。しかしだ、〈個〉にとって、その「出会い」の終わりがはやかったことを想起する昨今である。